クッションボールを蹴っていたサッカー大好きな3歳児が、
いつの間にか「”あの“水沼貴史の息子」と色眼鏡で見られるように…。
―水沼選手がサッカーを始めた頃のお話を聞かせてください。
ボールを蹴り始めたのは、歩けるようになってすぐだったそうです。家の中にあったクッションボールをいつも蹴っていました。生活の一部というというか、気が付いたら蹴っていたという感じです。それから、父がプロサッカー選手(水沼貴史さん・元日本代表)だったので、父が出ているサッカービデオばかり観ていましたね。アニメなどには全く興味がなくて今でも疎いです(笑)。小2の終わりくらいに町のサッカーチームに入って、そこから本格的にサッカーを始めました。勉強よりも『他の何よりもサッカー』という少年でした。
―親が元日本代表サッカー選手という特殊な環境で育ったわけですが、当時から身に染みて感じたことなどはありましたか?
小学校の時のチームはお父さんコーチが多かったので、特に違和感はなく同級生たちも「宏太の父ちゃん、上手くねえ?サッカー選手だったの?」と言われたりしていました。誇らしい気持ちはありましたね、父さんすごいでしょみたいな(笑)。それが中学校に入った頃から、徐々に『お前は”あの“水沼の息子だから』という目で見られたり言われたりするようになって。中学生の頃は僕は特別サッカーが上手かったわけでもないですし、身長も伸びなかったし、前は足も速かったのに遅くなっちゃったりと、成長過程の変化もあり、自分にとってはちょっと苦しい時期でしたね。
支えたのは反骨心とポジティブさ。
―どうやってその苦しい時期を克服したのでしょう?
『見られたくなくてもそういう風に見らてしまう立場なのは仕方がないことだから、覚悟しておきな』ということは昔から親に言われていました。だからといって親が嫌いになるわけではなくて、むしろ自分がプロになって、いろいろと言っていた人たちを見返して、父親と一緒に「すごいね、あの二人」と言われたいという気持ちでやっていました。
―”反骨心“が自分のサッカーに影響?
間違いなくそこでメンタルが強くなったと思います。自分が性格的にポジティブだったので、この性格に救われたのかな。『言いたいやつには言わせておけばいい。絶対に見返してやる』という気持ちでやってきましたから。かといって、心がすごく強いわけじゃないから、一人でへこたれたりはしているんですけどね、たまに(笑)。
―Jリーガーになってからはどうですか?
プロになってからも全然順風満帆ではなく、むしろ何もできないダメな自分、という感じだったんです。そこから栃木SCに行き、そしてサガン鳥栖に行ったことが自分にとって大きなターニングポイントでした。プライドも何もかも捨てる覚悟で臨んだので、そこでへこたれずに、「やってやる」という気持ちになれ、自分自身に勝つことができた。前向きな性格で良かったなと、自分の性格に感謝です。
なぜか後輩が寄ってくる!
―今シーズンから東京に加入。仲良しもできましたか?
圍と(橋本)拳人はやたらと絡んでくるので「じゃあ行くか」みたいな感じでごはんに連れて行っています。(東)慶悟も昼ご飯は毎日一緒に食べていますね。そこに最近(室屋)成が入ってきて…まあ楽しくやっています(笑)。今までは年上の方といるほうが多かったので、東京に来て「年下を連れている!?」みたいな不思議な感じです。
今東京では一人暮らしをしていますが、まだいろんなスポットに出かけたりはしていないので、これから徐々にエリアを広げて行きたいですね。ただ面倒くさがりなので家でグダグダしているのが本当は一番好きなんですが(汗)。
最後に、頑張っている人たちへ応援のメッセージをお願いします
悔いを残さずなんでもやる。でも心に余裕を持って。そういうところからちょっとずつ前向きになっていければいいかと思います。あとはもう、なんでも笑っておけばいいかなと思います。
(笑顔は重要ですね)はい。間違いなく!
この記事を書いた人
182chスタッフ
調布歴30年!調布を心から愛するスタッフが書いています。